ゴルトベルク変奏曲のお話

   はじめに@

 音楽は「知」の対象となりうるかどうかを最初に問わなければなりません。しかし、音楽全体、すなわちクラシック、ポピュラー、ジャズ、演歌など全部を検討の対象にしたのでは、その解答を得るのは困難です。「知の音楽」といっているのは、ここでは特定の曲、すなわちバッハのゴールドベルク変奏曲であって、他の多くの曲を対象とするのではありません。ゴールドベルク変奏曲が、どのように「知の音楽」としての実体を持ち、「知」の対象となり得るかを考えていきます。ただし、音楽の専門家の分析、評論等の形式はとりません。実をいえば、音楽の専門家でない筆者にとってそのような形式はとりようがないのです。そのかわりに、SMF(スタンダードMIDIファイル)のデータを扱うことができれば、自由に「知」による取組みが可能になるようにしてみたいのです。
 ゴールドベルク変奏曲を知の音楽として考えてみようということになったきっかけは、やはり、グレン・グールドの演奏です。グールドのデビューレコードのゴールドベルク変奏曲は、1955年の録音ですが、いかにも、「知」の挑戦といった感じで、逆に筆者には曲そのものの姿が見えてこず、最初は正直いって余り好きになれませんでした。その後、他のグールドの演奏では、バッハの平均律クラヴィア曲集第2巻第14番で感銘を受け、さらにモーツアルトピアノソナタで引き込まれ、すっかりグールドのファンになってしまいました。そして、ゴールドベルク変奏曲のことは暫くの間、すっかり忘れていたのです。
 1981年に再度、ゴールドベルク変奏曲を録音したグレン・グールドは、そのあとすぐ、1982年に、亡くなってしまいました。享年50才でした。グールドの多くのファンの同様、私もその死に強い衝撃を受け、奇しき運命によりもたらされた1981年のゴールドベルク変奏曲にとりつかれてしまいました。1955年と1981年に録音された演奏は同じものではありません。録音技術そのものも1955年にはアナログ・モノラルでしたが1981年にはデジタル・ステレオ録音となりました。演奏についても、1981年の演奏は、知が宇宙の精神と合体したかのような大きな拡がりのあるもので、1955年の鋭角的な知の挑戦とは異なっています。
 1981年以降、CDプレーヤが普及してきました。筆者が生まれて初めて買ったCDが、グールドのゴールドベルク変奏曲でした。このCDは友人にプレゼントしました。その後も他の友人にあげるなどして現在のグールドのゴールドベルク変奏曲のCDはたしか5枚目になっています。
 この曲は、百回、二百回と繰り返し聴いてきましたが、聴いたり、一歩進んで楽譜をみたりするだけでは、この曲がいかに「知の音楽」であっても、具体的に取組みようがありません。そこに大変役に立つ道具が現れました。コンピュータ、MIDIそしてデジタルピアノです。こうした道具の力を使うことによって、筆者にも「知の音楽」への挑戦のための道具が準備できたのです。
 さあ、ここから皆さん、ひとりひとりの「知の音楽」を一緒に求めていきましょう。

ゴールドベルク変奏曲 ゴルトベルク変奏曲 バッハ、グレン・グールド、ゴールドベルク ゴルトベルク The Goldberg Variations